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2010.05.17 (Mon)

変わりゆくもの

前の記事ではご心配をお掛けしました。


なんて言うのかな、ここ1カ月の疲れが出たというか、頭痛がひどくて、全身がだるくて、食欲がなくて、つまり慢性疲労で、気力でなんとか持ちこたえていたというか。

まあ、日々タスクと追いかけっこみたいな感じなので、仕方ないと言えば仕方ないのですが、もう少しオンオフを上手く切り替えていかないといけないかな、と反省(汗)


で。






【More・・・】
久しぶりに復活の兆しがみられた週末、自宅で焼肉などしてみました!
(しかも夕食)


・・・・・俺の体調が良くなかったせいで,暫く禁欲的な生活を送っていたかっしーに、焼肉(←くどいようですが、しかも週末)なんて危険過ぎる・・・とは思ったのですが、まあ、随分と我慢させたしなー、とも思っていたのですが。

彼は焼肉に舌鼓を打ち、上機嫌で付け合わせの野菜もたっぷり食った、ところまではまだしも。


にんにく

↑こんなもんまで一緒に食い始めたんで、俺は内心ヒヤヒヤ(-_-;)


・・・いや、まあ、いいんだけどね。←と言いつつ動揺した(>_<)



当然の流れの様に(は?)、寝室でそれらしい雰囲気(笑)になった時に(さらっと読んで下さい、さらっとw)

いつもよりかなり性急な感じがして、ついつい彼に、

「あの、俺一応病み上がりなんだけど?」

車でも暫くハンドル握ってなかったら、慣らし運転ってのがあるだろ?

なんて言ったんだけど、かっしーはニヤニヤ笑って、

「じゃあ、お前が上に乗ればいいじゃん」

なんですと!?

「だってその方が調節できるだろ、いろいろと」
(いろいろが何かは追及しないように!)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・


結局、彼の言うとおりになったんですけど(恥)

そりゃーもーホントに病み上がりだと思ってんのか、って勢いで下から突き上げられて(今更ですが、18禁です。大汗)

「今夜は寝かせないからな」

とか囁かれて、

いーや、絶対寝る!! 

これだけ・・・・(←ニュアンスでわかってください)使ったら絶対寝るからな!

と心の中で叫びながらも、めくるめく激情の渦にのみ込まれたというか、快感の波に流され溺れたというか、


まあ、そういう事で、日曜はいつもより遅い時間まで爆睡していました・・・・(>_<)






先週は、母の日でしたね。

みなさんのブログをご訪問すると、それぞれ心尽くしをされたご様子で(もしくはお子様方に尽くされたご様子でw)、胸が温かくなりました。

俺がこんな調子だったから、今年はリュウ(義弟)がいろいろと手配してくれたんだけど、ようやく寝不足が解消された時期で(2番目の天使ちゃんが昼夜逆転していたせいで)結構辛かっただろうに、

「大丈夫、若いですから!(←これはこれでちょっと気になったが。(^^ゞ
 その日までにプレゼントが届かないなんて真似して、兄貴に恥をかかせたりしませんから!」

って気張って、オフクロと妹に相応しいプレゼントを選んで連名で贈ってくれたんだ。

オフクロからかかってきた、まだ何となく他人行儀だけど丁寧な礼の電話を受けて、照れ臭いような、居心地が悪いような、くすぐったいような気持ちになったよ。


勿論、かっしーのオフクロさんにも、2人で花とケーキとちょっとしたプレゼントを贈って。

電話口の向こうの明るくはしゃいだ声に、俺のオフクロとは違った意味で、やっぱり照れ臭いような、居心地が悪いような、くすぐったいような、でも嬉しい気持ちで一杯になったんだ。



以前の記事に書いたけれど、寄稿させていただいた雑文の中に、母の日に纏わる文章があります。
この時期でないと似つかわしくないかもしれない、そして来年まで引き摺りたくない、そんな思いもあって、ここに再掲しておこうと思います。

長文です。
そして重いです、多分。

封印、いや、消し去ってしまいたい気持ちに駆られながら、でもそれは、俺の辿ってきた道程を否定する様で、どうしても書かずにはいられなかった俺の歴史の一部です。



では、ここからどうぞ。


↓        ↓         ↓







彷徨





忘れられない思い出がある。


まだ俺が小学生だった頃の、母の日の記憶だ。


そもそも彼女へのプレゼントを買うような小遣いさえ貰っておらず、またプレゼントを手作りするほど器用な子供でもなかった俺は、かなり前に祖父母から貰った小遣いの残りで、(メッセージカードのような)小さな便箋を買った。
本当はカーネーションの生花が買いたかったけれど、それは毎年この時期になると軒並み値上がりして、その時俺が持っていた小遣い程度では買えそうになかった。

店に並んでいた中で、母に最も相応しいと思った綺麗な便箋は買えなかったけれど、とにかく手に入れた安物の便箋に、母へのメッセージをしたためた。


『おかあさんへ。

 おかあさん、いつもありがとう。

 どうか元気で長生きしてください。』



たったこれっぽっち。
でも、たった3行のメッセージでも、その当時の自分としては必死で考えて考えて、母に媚びる訳ではないけれど、喜んで貰いたくて書いた文章だったように思う。


しかし、それに対する母の反応は、俺の予想を裏切るものだった。

「これだけなの?」

差し出した封筒をおもむろに開き、中の便箋に書いた文面を読んだ母が、驚く程無表情な顔のまま、そう問い掛けてきた。


焦点の定まらない虚ろな目。
喜びなど、微塵も感じられない冷たい瞳。


彼女の反応に戸惑い、凍り付いてしまった俺に、もう一度彼女は繰り返した。

「これだけなの?」

それは、詰問に近い口調だった。
俺はその質問に黙って頷くしかなかった。
咽喉の奥を、ザラリとした苦いような、重苦しいものが降りていくような気がした。


相手が赤の他人だったら、きっと忘れてしまっただろう。
馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうような、そんな些細な出来事に過ぎないのかも知れない。


今でも、あの時の母の要領をえない問い掛けを思い返して、ふと考える事がある。
母が問いただした『これだけ?』とは、手紙の文章が少なかった、という意味だったのか?
それとも、手紙ではなく、プレゼントとか、他に気の利いたものでも準備しろ、ということだったのか?


母が本当に求めていたものは、一体何だったのだろう。



例えばそれが物であったなら、今の俺ならば大概の望みは叶えてあげられる。
女性が欲しがる煌めくジュエリーでも、オプションが山ほどくっついた贅沢三昧な長期旅行でも。
それを母が望むならば。


でも多分、母の望みはそうではなく。


もしも手紙の文章が少なかった、と言うのであれば、それは今更どうしようもない。
元々文才などないし、母の日の手紙に、日々の生活上で彼女に対して本当に望んでいる事、例えば、

「毎日癇癪を起こして、僕に当たり散らすのは止めてください」

とか、

「何も言わないで、何処かにフラッと出掛けたりしないでください」

とか、

「門限(が何故か決まっていたのだが、愚かな子供は遊びに夢中になって、よく門限を破っていた)を過ぎて家に帰った時に、家中の戸や窓に鍵を掛けて、締め出しをするのは止めてください」

などと、書ける訳もないじゃないか。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



そう、別に。

「ありがとう」

なんて感激して貰いたいから、手紙を書いたわけではなくて。


たとえそこに気持ちがないとわかっていても。

どんなに邪険に扱われても。


たった1カケラでいい。
羽根程軽いモノでもいい。
母の愛情が欲しかった。


『母さん、僕はね、ただ母さんに笑って貰いたかっただけなんだよ』


記憶の中には、俺を厭う母の姿しか鮮明に残ってはいないけれど。



学業も仕事も結婚さえも、ただ与えられたものを受け入れざるをえなかった母の半生。
それは、自らが産んだ子供でさえ例外ではなく。
まだ年若かった母にとって、捨ててしまいたかったものの1つだったのかも知れない。


けれど。

どうしようもない悲しみに塗り潰された自らの運命を呪い、眉根を寄せてむせび泣く、
そんな母を哀れに、恋しく思わないわけがない。
自分は、いつも淋しそうに独りで泣いていた母の味方なんだと、そう伝えたかっただけなのに。



「あんたなんか、いらない」

「あんたなんか、いなくていい」


狂気の瞳をして、嫌悪感をその表情に滲ませながら、嵐のように俺を詰る時の母は、凄絶に美しかった。
悪意に満ちた、刃のような言葉の意味を、そっくり帳消しにしてしまうほど。



世間的には母性や父性は本能である、とか言われているけれど、俺は、あれは1つの社会性なんじゃないかと思っている。
子供を虐待する親の話とか、育児放棄する親の話とか、最近よく聞くが、あってしかるべきものではないのなら、あんな事も起こりうるよな、って思える気がするんだ。
(子供の立場からすると、到底納得出来る話ではないのだけれど、貧困や家庭の事情で、子供を売り買いしていた時代もあったんだし)

もしかしたら、それは単に、親から愛情を貰えなかった、そういう立ち位置だった俺が、そんな風に思い込んで自分を慰めて、何処かに精神的な救いを求めたかっただけなのかもしれないけれど。


母は、俺を否定することで、心の救いを求め―――人生をやり直せる、幸福と言う名の幻想を見たのだろうか。

俺がどんなにそれを認めたくない、と抗ったとしても。




愛情と憎悪は合わせ鏡のようで。

物心ついたときから俺を罵り、拒絶の言葉を吐くあの人を、

それでも愛おしくてたまらなかったあの人を、

俺が憎まないわけはない。


そして、憎もうとしてもどうしても憎み切れず、敬愛して護ろうとしても否定される、
そんな毎日は、やがて、外側からでは決してわからない俺の内部をズタズタにしていった。

母の中に充満する狂気と、俺の中で成長していた狂気とが出逢ってしまわないように、俺は中学を卒業するとすぐ家を出た。


遠くへ行きたかった。

実家から、母から離れたかった。

もうこれ以上、同じ空間にいることは、弊害しか生まないと思った。



魂の何処かで、俺のことを誰よりも欲しがってくれる人を、無意識に探しながら。

けれど、

きっとそんな人はいない、お前は親にさえ必要とされなかったんだから、

と、半分は自嘲気味に諦めながら。




長い長い旅の始まりだった。




 (『Jammin’ Words~交差する言霊 共通テーマ「幻想」』より加筆転載)









金魚さんのところの母の日の記事で、仕事仲間のママさんが、「心がこもっているものだったら、チロルチョコ1個でも嬉しい」って書いてあるのを読んで、
ああ、俺の母はやっぱり普通じゃなかったのかもしれないな、って、だから他の子供達と同じような愛情が与えられなくても、仕方がない事だったんだろうな、と思えて。

これこそ独り善がりなのかもしれないけれど、その事実が、ことん、って音を立てて腑に落ちたような気がして。

勿論今は、その頃わからなかった大人の事情もわかるし、様々な事象を考え合わせる事も出来るのだけれど。




俺には今、これ以上ない位、俺を大事にしてくれる相手が傍にいて、俺も彼の事を誰よりも愛しく想っていて。

これほど幸せな事はありません。

もう、誰かを赦すとか赦さないとか、そういう次元の問題ではなく、俺の心の中で一定の整理がついた様な気がするんです。

だから、オフクロに纏わる過去の話は、これで最後になると思います。



きっとここで何度も自分を見つめ直す事が出来たから、真摯に受け止めてくれるみなさんが居てくれたから、

そして、こんな俺でもいいって言ってくれる彼が居てくれたから、俺は最低の人間にならずに生きていけるのだと思います。



知らず知らずに変わりゆくもの。


時が経っても変わらないもの。


何があっても変わってはならないもの。


様々ある中で、否応なしに取捨選択しながら進んで行く、長い旅の途中で出逢えた、己の人生と同じ時を生きる人達。


この世に生を受けてから出逢えた全ての人に、深謝と愛を込めて。








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02:21  |  問わず語り  |  トラックバック(0)  |  コメント(1)

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 |  2010.05.18(火) 02:05 |  |  【編集】

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