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2009.11.02 (Mon)

永久欠番

最近、かっしーの話(惚気?)があまり出てきませんが。
とても元気ですww



金曜日の夜は俺が友人達と飲んだんで、帰りが遅くなったんですが、果たして彼は俺の帰りを起きて待っていました。


で。

飲んだら嫌と言わない(何の話?とか聞かない!←命令)俺にいろいろと・・・・

まあ、こっちもちゃんと『お応え』したんですけどね(^^ゞ



事後(・・・・)そのまま眠りの世界に深く落ちて行った俺ですが、起きたら彼が傍で何故か嬉しそうにニヤニヤ。

「お前、何ニヤニヤしてんだ?」

あまり良い予感はしなかったんだが、そう尋ねると、

「いや、お前がさ、眠ってんのに俺からなかなか離れなくて、ほとんど身動きとれない位情熱的にがっしり俺をつかまえてたのを思い出して」

おかげでトイレにも行けない位だったよー、ははは。

って、何でお前、笑ってんの!?(恥)

そんな状態なら起こせよ!


ていうか、全身がえらくギシギシ痛いのは、もしかしてそのせいだったのか?








【More・・・】






昨日の俺の小さな呟きを拾って下さった方がいました。

俺の周囲の出来事や人々に触発されて書く言葉を受け止めて下さった方に、もう1つ、俺からの呟きを捧げます。








さよならだけが人生だ と漢詩にあるように。

山の彼方の空遠く 幸い住むと人の言う 

そう 目に見えない幸福を追い求めた詩人もいた。

幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ と嘆いた詩人もいた。


ここに来て下さる方々は、心の何処かに消え難い傷みを抱え、
でもそれを人に気取られないよう、人に気を遣わせないよう、
必死で生きている方々が多い様に思う。


誰もいない場所で 気付かれずに泣いたとしても
身を切られるような、耐えがたい痛みにも平気な顔を装って
ひとりでも平気だと嘯いて、強がって生きている。


何も知らない人達に、貴方は強い、と言われながら、
その実、そんな人ほど折れそうに弱い。


いつも愚痴を零し、口さがなく他人を罵り、貶め、
不幸を他人のせいにして生きている人間は、
一見弱い様に見えて、実は強くしたたかに生き残る。


悲しみや苦しみの種類は十人十色だから
例え先達がいたとしても 同じ秤で量ることは出来ない。
誰かと完全に共有することも出来ない。


本当に苦しくて泣きたくて
この世に生まれた意味も、生きている意味もわからなくなって
全てを投げ出しそうになった貴方。


かつての俺と同じだった 淋しい魂を抱き締めて
ここまで辿り着いてくれてありがとうと伝えたい。

何の力にならなくても。


貴方に そう伝えたい。






「ものを生み出す人間は、いつもあまり幸福ではない」

俺の大学のゼミの教授が、ある日の講義でそう言いました。

「いつも幸せで充実していて、満足し切った人間の生み出すものは少ない。
 人々の心を動かしたり、心を震わせたりするような作品を創り上げる作家や画家や芸術家達は、不幸であったからこそその中でもがき苦しんで、多くのものを生み出す事ができたんだ」

15年以上前の教授の言葉を今でも明確に覚えているという事は、きっとそれが俺にとって忘れ難い一言であり、そしてとても(精神的に)救われる言葉だったのだと思います。





中島みゆきさんの『永久欠番』という歌があります。
最近の中学校の教科書にも掲載されているそうですね。







永久欠番      

どんな立場の人であろうと
いつかはこの世におさらばをする
確かに順序にルールはあるけど
ルールには必ず反則もある
街は回ってゆく 人1人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと

100年前も 100年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに
生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
街は回ってゆく 人1人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなどいないと風は吹く

愛した人の席がからっぽになった朝
もうだれも座らせないと
人は誓ったはず
でも その思い出を知らぬ他人が平気で座ってしまうもの
どんな記念碑(メモリアル)も 雨風にけずられて崩れ
人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
だれか思い出すだろうか
ここに生きていた私を

100億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙(そら)の掌の中
人は永久欠番
宇宙の掌の中
人は永久欠番

            (作詞  中島みゆき  作曲  中島 みゆき)




『だれか思い出すだろうか』、と自嘲気味に問いかけながら、本当はだれかに思い出してほしいと強烈に願う命の叫びと輝きが、この歌にはある。

だから、誰もが誰かにとって唯一無二の存在であることを信じて生きていきたいと俺は思うのです。





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01:45  |  日記  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

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 |  2009.11.03(火) 04:22 |  |  【編集】

管理人コメントのNさんへ

コメレス、遅くなってしまってすみません。
そしてこのような重い記事にコメントいただき、ありがとうございます。

歌の持つ力、いえ、中島みゆきさんが紡ぎ出す言葉というものは、変幻自在で、力強くて、彼女もきっとまた、平坦ではない道を辿って来られた方なのだろうと思います。

このPVで、みゆきさんが書かれている(描かれて?かな)彼女の直筆のエッセイの中に出てくる言葉が、心に突き刺さってきました。


生きてりゃ いろんな朝がある
誰かが見ていてくれるなら もひとつ 朝を生きてみる

生きてりゃ いろんな荷を背負う
体が痛んでいる時は あとひと粒の小石さえ 手に取ることが怖くなる

気持ちが痛んでいるときは あとひとことの言葉さえ 聞き取ることが怖くなる

誰かが見ていてくれるなら 丸い心の粒の上 荷物もころころ動きだす


以前、俺に『涙の爆弾』の話をして下さった方がいました。
俳優の笹野高史さんのお話だそうですが、彼が子供の時にお母さんを亡くされて、それからの人生を「(胸に)涙の爆弾を抱えて生きてきた。それが破裂しないように注意しながら」と語っておられたそうです。

『涙の訳は違っても、あなた(俺のことです)も私(その方です)もこの爆弾をもっているでしょう?』

と、その方はそんな風に教えてくれました。
(Eさん、勝手な引用をお許しください)
きっと痛みを持つ誰もが、心の中に『涙の爆弾』を抱えて生きているのだと思います。
一番心が痛んでいた時よりは少しずつ小さくなっているだろうけれど、決してなくなりはしない、そんなものを。

自分の中に潜む悪や痛みや苦しみと対峙し、『涙の爆弾』を抱えながら、それでもこの体に熱量があるうちは生きて、生き抜いていく。
その果てに、この世に生を受けた意味が待っているのかもしれません。

ご訪問、ありがとうございました。

V |  2009.11.15(日) 01:39 | URL |  【編集】

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