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2006.08.05 (Sat)

抗暴のとき

かっしーを除く、リアルの友人達の誰にも言った事がない「秘密」が俺にはある。

書こうかどうかずっと迷っていたが、哀悼と雑感を込めて書いてみる。

よかったら読んでやってください。

ちなみに内容は、恋愛でも仕事でもありません。

【More・・・】
俺のじーさんは61年前のHIROSHIMAで被爆した。

原爆が落とされた瞬間に、HIROSHIMAの街にいたわけじゃなくて、その数時間後、まだ放射能と阿鼻叫喚に満ちたHIROSHIMAの街に足を踏み入れて、被爆したのだ。


「この世に生き地獄があるとしたら、きっとあの日のHIROSHIMAだ」


じーさんはそう言ったらしい。

この話をじーさんは生きている間、俺には一切しなかった。
じーさんが死んでかなり経って、親父から聞いた話だ。


自分が子供の頃は、毎年8月6日になると、どのTV局も平和公園からの映像を流し、原爆が投下された時間には、必ず黙祷していた。
身近な人間を原爆で失っている同級生も多かったから、それは、当たり前の事だと思っていた。


だが、全国的に見ると、これは決して「当たり前」でもなんでもなく、むしろ「些細な事」なのだと、大学生になった頃知った。



かつての戦争で失われた生命と残された生命の重みを、その当時の人達の様には感じられないように。

今でも血が流れている世界の多くの紛争の、人々の痛みの全てを共有する事が難しいように。

HIROSHIMAを自分の事として考える事は難しい。



だけど、何か意味がある筈だ。

日本から遥か遠く離れた国の人々が、「JAPAN」という名は知らなくても、

「HIROSHIMA」という名を、

「世界で最初に原爆が投下された都市」

として知っている事。

そして自分が、そんなHIROSHIMAの地に生まれた意味が、被爆者を身内に持った意味が、きっと。



辺見庸さんの本に、

「今程、『自由』が人知れず奪われて来ている時代はない」

と言う意味合いの文章が書いてあった。

そして今程、組織に依るのではなく、個人としての「抵抗」が必要な時はない、と。

辺見さん自身も、群れる事無く、ひとり黙々と戦い続けている人だ。



キナ臭い、嘘臭い毎日のニュースを見聞きすると、このままじゃいけないという思いだけが積もる。


だけど自分に、一体何が出来るのか。



積極的にHIROSHIMAに関わろうと活動している若者達もいる。

HIROSHIMAから、何かを発信しようとしている。

http://sound.jp/excuse/

その姿勢は力強く、逞しい。



今年もまもなく、あの日が巡って来る。


かつて、じーさんが訪れた8月6日に、俺はHIROSHIMAへ行くつもりだ。
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01:19  |  日記  |  トラックバック(1)  |  コメント(4)

Comment

俺もです

前話したじーちゃん、母方の祖母なんですけど、入市被爆者です。
今年喜寿になりましたが、自営業なので今も現役で働いてます。
姉さん(社会人6年目)の給料なんか軽く超えるくらいの収入もあって、ばーちゃんと楽しく暮らしてるようです(笑)

そんな陽気なじーちゃん、たまに酒が入ったりすると、ヒロシマの話をしてくれます。
その話を聞くたびに、俺は今まで何かしてきただろうかと自問自答します。
最近の疫学研究で、低線量の被曝しかしていないと考えられていた入市被爆者の白血病発生率が有意に高いということがわかったとか。
じーちゃんがいつまで元気でいてくれるのかは分かりませんが、被爆体験をした世代が減っていく中で、被曝2世・3世が活動しているのは、俺も心強く感じています。

8・6も近づいて参りました。というか12時すぎたからもう今日か。
今年も一人の人間として、61年前に亡くなった方を想ってテレビの前から黙祷したいと思います。


自己満足のコメントなので、これを読まれて不愉快になられた方がいたら申し訳ありません。
長々失礼いたしました。
勇平 |  2006.08.06(日) 01:41 | URL |  【編集】

勇平へ

俺もこの記事書きながら、読んで、不愉快になられた方がいたら申し訳ないな、と思っていました。
この記事は、あくまでも自省の念と自分の決意を書いたものであって、他人にこうして欲しいと強要するものではありません。
が、それでも不愉快に思われる方がおられたら、申し訳ありません。

ただ、原爆も戦争も体験が有る世代が減りつつある中で、逆に考えていかなくては、と思うのは、この体験を忘れた時に、また同じ過ちを犯してしまうんじゃないかと危惧しているからです。
どんな形であれ、あの日に、あの頃に起こった出来事を、若い世代が継承していく事が重要なのだと考えています。

友人が紹介してくれた、ヒロシマ関連の若者達の活動。

http://www.hiroshima-cu.ac.jp/japanese/notice/exhibition/thelight-2.htm
(8月9日まで)

時間が無くて、今回はここに行けなかったのがとても残念でした。
でも、過去へのアプローチとして、この取組は素晴らしいと思います。

勇平のところのじーちゃんはまだまだ元気そうでよかった。
ばーちゃんともハッピーなようで、羨ましい限りです。
元気で長生きして欲しいな、と思います。
俺のじーさんは病院に何年も入院していて、かなり前に亡くなりました。
破天荒で、女好きで、酒好きで(自分の酒好きはじーさん譲りなんじゃないかと思う)豪快なじーさんだった。
でも、そんなじーさんでも、あまり当時の事を語りたがらなかったというのは、やっぱり、それだけ受けた衝撃と言うのが深かったのかな、と思ったりしました。
親父も、この話をしてくれた時に、まだ幼児の頃(戦時中)、戦闘機から機関銃で撃たれそうになった話をしてくれました。
(親戚の家に行ってた時に、偶然出会ったそうだ)
たまたま弾が逸れて当たらなかったので、すぐ近くにいた大人が防空壕に引っ張ってくれて九死に一生を得た、らしいけど、もしもあの時に親父が死んでたら、自分は生まれてこなかったんだろうな、と思うと、改めてゾッとしたよ。

8月6日、ヒロシマに行ってきました。
次の記事でアップしたいと思います。
V |  2006.08.07(月) 22:17 | URL |  【編集】

昨日のニュースで心に残ったのは、ネバダ州ラスベガスの原爆資料館で
原爆の被害の展示がなされた、という話。
たとえば、日本人のアジア諸国での所業のように、
原爆を落とした側の国では、様々な圧力があって、前回見たニュースでは、
(昨年?一昨年?わからないんですが(汗))
そういう企画があったのに、出来なかったという話だったんですが。

日本人にしてみれば、あんなに悲惨な結果をもたらすものを、何故いつまでも?と思いますが、
知らないから、自国が核兵器を開発、作成することを容認できる、というか、誇らしくさえ思ったり。

けれど、今回のように、真実を知りたいという側の力が勝って、
どんな場所に住む人も、事実に基づいて判断できる世の中が来るようになると思いたいです。
そういう風に、世界は「前に向かって、進んで行く」のだと。
コロン |  2006.08.07(月) 23:14 | URL |  【編集】

コロンさんへ

何年か前の話は、多分スミソニアンの一件ですね。

うん、俺も人類の良心や叡智を信じていないわけではないんですよ。

戦勝国にはあちらの立場や誇りがあり、お互いの確執や不信は、もしかして何十年かかっても解決できないかもしれません。
でも少なくとも、あれが戦争中だから仕方なかった事とは到底思えないし、それで免罪される事とも思えないのです。
戦争の罪に時効はありませんから。

文明は素晴らしい進歩をもたらすと同時に、悪魔の凶器にも変わります。
もしかしたら自分の働いている会社が「進歩」の為に作り出した技術が、歪んだ心根によって悪用されてしまうかもしれない。

だけど、コロンさんのおっしゃるとおり、暴走する人の暗黒の部分を制御でき、事実を知り判断する事で、前に進もうとする気持ちがあれば、世界はもっと豊かに、俺達みんながもっと幸せになれると思います。
V |  2006.08.09(水) 00:19 | URL |  【編集】

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2006/08/09(水) 00:47:03 | 雫はいづれ海に還る

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